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クリーチャーズ黎明期クリーチャーズ黎明期
chapter 01

クリーチャーズ
黎明期

The Startup Phase of Creatures

石原さんはSEDICやAPEで多種多様なビデオゲームやカードゲームを制作されてきました。なぜAPEを独立され、1995年にクリーチャーズを設立されたのでしょうか。

石原: APEで『MOTHER2〜ギーグの逆襲』(任天堂/スーパーファミコン/1994年)をつくったメンバーと次も面白いものをつくりたい、という想いがありました。APE社長の糸井(重里)さんに会社を続ける意思がなければ、石原が独立して新しい体制を構築した方がいいのでは?という意見があり、任天堂から手厚いサポートを受けることができました。任天堂神田事務所(当時)の1フロアを貸していただけたのは、そのサポートの一つです。
社名には、雑多な感じやごった煮感がほしかったので、それを表す言葉を考えた時に、「クリーチャーズ」が一番ふさわしく思えました。“クリエイティブ”にかかっていますしね。

クリーチャーズを設立された当初、石原さんはどのような会社にしようと構想されていたのでしょうか。

石原: 任天堂のプラットフォームを中心に、つくれるものをつくろうという意思がありました。当時は任天堂さんとの関係性がとても強い時期で、初期のプロダクトはその環境から生み出されたものです。プロデュースした『ポケットモンスター 赤・緑』(任天堂/ゲームボーイ/1996年)や、『ミニ四駆GB Let’s&Go!!』(アスキー/ゲームボーイ/1997年)などをリリースしました。こうして、クリーチャーズの歴史はスタートしたのです。

石原 恒和Tsunekazu Ishihara
株式会社クリーチャーズ代表取締役会長

1957年生まれ。 ゲームプロデューサーとして数々のゲームソフト開発に携わり、 95年に株式会社クリーチャーズを設立。 96年にポケモンの原点となった『ポケットモンスター 赤・緑』をプロデュースし、 その後、 ポケモンソフト全作品にプロデューサーとして携わる。 株式会社ポケモン代表取締役社長CEOとしてゲーム、 トレーディングカードゲーム、 テレビアニメ、 映画など、 ポケモン全体のブランドマネジメントを手がける。

田中さん社長就任田中さん社長就任
chapter 02

田中さん
社長就任

The Startup Phase of Creatures

田中さんをクリーチャーズの社長に招いた理由を教えてください。

田中: 石原さんが株式会社ポケモンを設立して、代表取締役社長に就任したのが大きな理由ですよね。

石原 : 当初は、私がクリーチャーズと株式会社ポケモンの社長を兼任しようと考えていたのですが、2つの会社の代表になることの難しさや問題点などが課題として出てきました。『ポケットモンスター 赤・緑』が大ヒットを記録していた頃、当時の任天堂の社長の山内(溥)さんから、「君のところは100年に一度のコンテンツを生み出したのだから、はよ上場したらええ」と言われ、「なんですか、上場って?」と答えたこともありました(笑)。そもそも、そういう時代から株式会社ポケモンの構想はありました。
具体的に株式会社ポケモンの設立準備を進めつつ、クリーチャーズを誰に任せるかなと考えた時に、真っ先に田中さんを思い浮かべました。先ほども言ったように、雑多感やごった煮感があって、自分では思いつかない答えを出してくれる人。それが田中さんです。それで田中さんに頼んだのです。あの時、どうだったのですか?(笑)。

田中 : 社長室に呼ばれて「田中さん、これから社長で!」「えーっ!」となったわけです。自分はどこからどう見ても経営者というタイプではないし(笑)「ああ……。スーツ、買わなぁ……。革靴、履かなぁ……。」と(笑)。でも、それよりもずっと以前に、石原さんから「ポケモンの主題歌を担当してみませんか?」というお話をいただいて、僕にはそれが大きな転機になっています。その時に、自分の中で不思議と決意したところがあって、当時、妻に「今度のボーナス全部使っていいかなぁ?」と伝えて、ボーカル録音に必要な機材とかシンセサイザーを買い込みました。
当時いた任天堂は副業禁止だったのと、たまたま色んな事が重って自分の人生の大きな転機、節目なのでは?と考えた時期でもあり、ポケモンソングがヒットして1年経った頃に、石原さんに相談してみようと連絡し東京の石原さんを尋ねました。で、石原さんと神田の居酒屋のカウンターでお酒を飲みながら、話しましたよね。その時、石原さんが、めちゃくちゃ明快に「田中さん、もし音楽で1年間食べられる余裕ができたなら、それでいいじゃないですか」と言われて。要するに、生活するに困らない状態であれば、あまり深く考えず気楽に1年〜2年過ごせばいいんじゃないですか?と言われたのです。
その一言でホントに何年も沈んでいた気持ちが「フッ」と軽くなりました。
僕にとっては、社長室に呼ばれた時の光景よりも、その居酒屋で交わした会話の方が大きいです。その時は、クリーチャーズの社長になるとは思ってもみなかったけれど、居酒屋のカウンターで、無意識に静かに、何だかわからないけれど自分の未来を決断したような不思議な体験として残っています。
石原さんは、僕にきっかけを与えてくれた、いわば第二の生みの親だと思ってます。

田中 宏和hirokazu Tanaka
株式会社クリーチャーズ代表取締役社長

1980年、任天堂に入社。ゲーム&ウオッチやファミコン、ゲームボーイなどの企画及びゲームプログラム、サウンドデザインや、音源開発などに携る。ゲーム音楽の代表作としては、『メトロイド』『スーパーマリオランド』『テトリス』『ドクターマリオ』『MOTHER』(鈴木慶一との共作)『MOTHER2 ギーグの逆襲』(同)『ポケットカメラ』などがある。作曲を手がけた、テレビアニメ『ポケットモンスター』主題歌“めざせポケモンマスター”は180万枚というセールスを記録。クリーチャーズでは、蛍光灯や白熱電球、リモコン受信部など、日常の光を使って遊ぶコンピュータゲーム『ちっちゃいエイリアン』の他、『ポケパーク』シリーズ、『ポケモンレンジャー』シリーズを企画・開発。他に『ポケモンカードゲーム』シリーズのエグゼクティブプロデューサーも務める。

chapter 03

二人の役割分担

The Division ofRoles

現在お二人はクリーチャーズの会長と社長の役職に就かれていますが、役割分担はどのように行っているのでしょうか。お二人ともクリエイティブの現場に携わっていらっしゃるので、お仕事の領域の棲み分けを知りたいです。

石原 : 知りたいの?(笑)。

社員 : 知らないと困るような気もします(笑)。

田中 : 雑に言うと、2階と1階ですよ。石原さんが2階で、僕が1階にいるイメージです(笑)。クリーチャーズもポケモンの企画開発会社として活動しているわけですが、同じ方向を向きながらも、目線の高さ、こだわり気になる部分など全然違っていると思います。
もう一つ、いつも思っているのは、石原さんは社内のスタッフに対して優しい。僕は現場上がりなので、意外と人に雑で厳しいところがあるのでは?と。クリエイターに優しい石原さんと、クールな田中がいる。石原さんは「私はそうは思わない」と言うでしょうが。

石原 : 私が優しくて、田中さんがクール……。私からみると、違っていますけれど(笑)。

田中 : かもしれないですけれどね(笑)。

石原 : 役割分担で言うと、私はクリーチャーズにいなくてもいいぐらいのポジションです。必要な時に必要なことをやる。だから、一時期は田中さんだけが代表取締役を担当して、私はまったくアクセスしない関係を何年か続けましたよね。
ある時期から、クリーチャーズをアップデートするために、2階に人がいたほうが安定するので、改めて深く関わるようになりました。今は、この組織の今後を考え、自由に携わっています。そういう距離感なので、全責任を背負ってすべての細かいところまで目を通している感じではないです。株式会社ポケモンは自分で全部やります。クリーチャーズは横から口を挟んでいるような感じかな。 ただし、『名探偵ピカチュウ』(株式会社ポケモン/ニンテンドー3DS/2016〜2018年)のようなターニングポイントとなるプロダクトの場合は、プロデューサーとして深く関わることもあります。

印象深いプロダクト印象深いプロダクト
chapter 04

印象深い
プロダクト

ImpressiveProducts

クリーチャーズ制作のプロダクトで、特に印象深い作品を、その理由と共に教えてください。

田中: 思い出深いのは、作品というより『ポケパークWii〜ピカチュウの大冒険〜』(株式会社ポケモン/Wii/2009年)が出来上がる前の時期になります。Windowsマシンで草原を表現しその上で3DCGのピカチュウを動かすプロトタイプデモを当時のプログラマーが作ったのですが、そのデモをコントローラーで触った時「これは何か可能性があるのでは?」という手応えのようなものがありました。当時のゲームフリークさんがつくるポケモンは2Dのドット絵の世界でしたが、当時オープンワールドな世界に3Dのポケモンを配置したデモは、いまのポケモンのワイルドエリアに似た雰囲気をもってました。その後の「ポケパーク」「名探偵ピカチュウ」に繋がるキッカケを作った大事なデモだったのでは?と思っています。

石原 : クリーチャーズの作品の中で、最も胸を締め付けられる思いがするのは「ポケモンカードe」(任天堂/ゲームボーイアドバンス/2001年)です。ゲームボーイアドバンスの周辺機器「カードeリーダー」に4枚から8枚のポケモンカードを読み込めば、当時のROMカートリッジと同等のデータ量を供給できることが革新的でした。任天堂の山内さんも「紙で済むのなら、ぜんぶこれにしてしまえ」と極端なことを言ったぐらい面白い技術だったのです。自分の中でも盛り上がり、ゲームボーイアドバンスとポケモンカードゲームの組み合わせで、絶対にすごいものが出来上がると思って開発したのですが、結果は期待したようにはなりませんでした。そういう意味で「ポケモンカードe」は心に残る存在です。アイデアの大元には、元任天堂の横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」があります。時間が経って価格がこなれた技術から新しいアイデアを生み出すことが大事だ、と知ってはいたのですけれど。最先端のテクノロジーを使えば、もっと未来を見通せるし、先が開けるのでは、と思ったことが、実はそうでもなかった。それが自分の中ではショックで、重かったです。
先日、雑誌の企画でメディアアーティストの落合陽一さんと対談したのですが、彼は魔法使いになりたい、と言っていましたね。私の中で、魔法使いといえば、J・R・R・トールキンの小説『指輪物語』を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』に登場するガンダルフです。『ロード・オブ・ザ・リング』の冒頭でガンダルフがビルボ・バギンズの誕生日にやって来るシーンで、ビルボの甥っ子のフロド・バギンズが「遅いじゃないか」と言った時に「フロドよ、魔法使いは決して遅れない。そして早すぎることもない。魔法使いはまさにそのときに来るのだよ」と言います。この全能感は、とても大切です。早すぎもせず、遅すぎもしない。自分が決めた“この時”が、最もジャストな時間。つまり、自分たちが仕掛けるタイミングも、人がものを受け取ってくれる時も、ぴったり合っている状態です。

『ポケモン GO』(株式会社ポケモン/iOS、Android/2016年)は、その好例だと思います。最先端だったGPSの技術が普及して、スマートフォンが人々の手に行き渡って、人と道路の位置情報を正確に把握できるようになった頃に、『Ingress』(ナイアンティック/iOS、Android/2015年)がリリースされました。そして、『Ingress』に、ポケモンというコンテンツを組み合わせて、『ポケモンGO』を誕生させました。そういうぴったり感と言うべきものが、商品とサービスにはあるのです。「ポケモンカードe」は、それを見誤っていたなと感じます。

「ポケモンカードe」を中心に思い出をお聞きしましたが、他にプロダクトの思い出はございますか?

石原: ポケモンカードゲームは、全部いいですよね。ポケモンカードゲームは、スタートの時点からタイミングがあっていました。ポケモンカードゲームの源流には、ベースボールカードや『マジック:ザ・ギャザリング』があります。ポケモンがそのレイヤーに乗った時に、爆発しました。ポケモンカードゲームは、最も正しく成功したプロダクトの一つだと思います。

印象深いプロダクト印象深いプロダクト印象深いプロダクト
chapter 05

つくることへの
プロ意識

Professionalism

ものづくりの現場で社員に伝えていること、期待していることを具体的に教えてください。

石原: 私は社員に直接はクリエイティブなことは伝えていないですね。田中さん、いかがですか。

田中 : みんなに伝えたいことは、自分は会社に対してどんな価値を差し出しているか。自分が生み出す価値は人の役に立っているか。これらに対して自覚的であってほしいということです。これは、どんな職種に対しても言えることだと思います。

石原 : 私の立場だと、クリエイティブの1個上のレイヤーにあるチームづくりや環境づくり、運営などに目を向けます。私がプロデューサーに対して言うのは、プロジェクト全体への目利きが正しいのか、このプロジェクトは本当にうまくいくのか、という問いかけです。クリエイティブの現場では、誰もがうまくいっていると信じ込んでしまう事態がどうしても起きます。私は、疑問を感じたら、できる限り早く指摘することを心がけています。プロジェクトの成否を決めるのは、人ですよね。人を正しく見ていたか、見誤っていたかで、成否は決まります。

これまでに影響を受けた作品
chapter 06

これまでに
影響を受けた作品

ImpressiveProducts
ProductsProducts
ProductsProducts

クリエイティブを伝える中で、この作品が指標になると思われるコンテンツをその理由と共にご紹介ください。石原さんや田中さんは、どんな作品がお好きなのか、何に感銘を受けて、ものづくりをしているのでしょうか。

田中: 僕は単純です。個別のタイトルではなく、時代を超えて続いているものは、全部重要だと思います。ポケモンしかり、マリオしかり、ゼルダしかり。
そして、石原さんも仰っているように、『ポケモン GO』は特別な成功を収めたと思っています。ゲームの裾野を拡げる試みは、これまで数多のゲーム開発者たちが一生懸命トライしてきたことです。それを見事な形で実現できたのは、やはりすごいことです。

石原: それで言うと、『指輪物語』はデカイんだよね。私が書籍『テレビゲーム−電子遊戯大全』(ユー・ピー・ユー/テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト:編/1988年)をつくったときに、ゲームデザイナーの三浦明彦くんと話し合って、ビデオゲームの源流は間違いなく『指輪物語』にある、と確信しました。『指輪物語』からファンタジーが生まれて、テーブルトークRPGやビデオゲームの『ウィザードリィ』や『ウルティマ』が誕生し、日本では『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』が制作された、という流れがあります。
2つ目に重要なコンテンツは、テレビドラマの『スタートレック(宇宙大作戦)』(1966年)です。『スタートレック』がSFドラマの源流で、ここから『スター・ウォーズ』などが生み出されました。
3つ目は、スポーツ。アーケードゲームの『ポン(PONG)』(1972年)のように、ボールを打ち返すだけのゲームも、源流はスポーツにあります。
ビデオゲームは、この3つが源流です。他はバリエーションに過ぎない。これが『テレビゲーム−電子遊戯大全』のコンセプトだったのです。※『新版・指輪物語』(全7巻)/J・R・R・トールキン作/瀬田貞二、田中明子訳/評論社※Sunset Boulevard/Corbis Historical/ゲッティイメージズから提供されています

クリーチャーズらしさ
chapter 07

クリーチャーズ
らしさ

The Way of Creatures

現在、クリーチャーズは、トレーディングカードゲームの開発、ビデオゲームの開発、ポケモンの3DCGの制作の3本柱が活動の軸になっています。このような能力を有する会社は、世界でも類をみないと思います。お二人は現在のクリーチャーズをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。

田中 : 会社の中に3つの軸があるのは、大きな強みです。クリーチャーズには、多様な能力を持つ人たちが集い、日々クリエティブな業務に邁進しています。この多様性がきっかけになり、いろんな交流、化学変化がスタッフの間で起こり、これまでにない画期的な商品・サービスが生まれる可能性につながってほしい、と常々思っています。なので部署間の垣根を超えたプロジェクトが少しづつ増えてきてる現状はとてもいいことだと感じています。

石原 : 現在、私はクリーチャーズをアップデートしている最中です。端的に言うと、つくるという行為と、つくり続けるという行為を、異なる2つの要素として捉えています。
現在のゲームソフトの開発は、マスターアップをしたらすべての作業が終わるわけではありません。今のビデオゲーム、例えば『ポケモン GO』なら、ゲームをつくり上げて、リリースした時点は、ゴールではなく、スタートなのです。そして、スタートしてからも、仕様をどんどん付け足します。ジム戦や敵とのバトルの追加、そして周辺機器「モンスターボール Plus」やアプリ『Pokémon HOME』との連動を実装しました。そもそもリリースしてしばらくの間は、ポケモンの交換すらできなかったわけですから。こうやって、考案していたアイデアを足して、今の『ポケモン GO』があるわけです。これがつくり続けるということなのです。
こういうノウハウを、クリーチャーズはまだ獲得できていません。現在、一生懸命アップデートしているのが、つくり続けるための仕組みの構築なのです。それを早くキャッチアップして、クリーチャーズなりのスタイルをつくり上げる必要があります。
しかし、現在のクリーチャーズにも、つくり続けているものがあります。ポケモンカードゲームです。それも年間に何バージョンも。これまでにつくったものを維持しながら、次のものを発売してバランスをとり、バランスが崩れたら再調整する作業を続けています。この作業をトレーディングカードゲームのスタイルで長きに渡って続けている価値は、計り知れないと思います。

2020年に迎えたクリーチャーズ25周年への感慨をお聞かせください。

田中: 周年とは、お祭り。祭りの本来的な意味には、無になって生まれ変わるということも含まれていると思います。仕事って「同じ事の繰り返し」と「同じ事を繰り返さない事」の絶妙なブレンドでできていて、人はこの「くり返し」で生きていく。なのでこの「繰り返し」をうまくリセットする事も重要なので「どうか自分を見失ってください」(笑)。これが周年ごとに社員に伝えている個人的なメッセージです。

石原: 私は、いわゆるアニバーサリーには興味がありません。例えばポケモン25周年を打ち出したキャンペーンをしたら、お客さんはポジティブな反響を寄せてくれるのでしょうが、自分は反応したくないのです。今回のクリーチャーズの社史をつくることですら、「そんなもんはつくらんでええ」と思っていたくらいです。でも、実際につくるとなると、真剣に取り組みました。2021年でクリーチャーズは設立26周年です。このキリの悪い感じがいいよね(笑)。

石原さんに質問です。ポケモンカードゲームの25周年を、新作のオリジナルデッキでお祝いする取り組みがとてもユニークです。社史デッキに込めた想いをお聞かせください。

石原: 野元(聖矢)があまりにも悩んでいるから(笑)。「じゃあ、カード型の社史にしようか?」とアイデアをひねり出した結果です。現在のポケモンカードは非常に高価になっていて、特別なカードを入れると高騰してしまう怖れがあるので、裏面に社史を入れて価値を破壊しました(笑)。

chapter 08

クリーチャーズの未来のかたち

The Division ofRoles

今後のゲーム産業やエンタテインメント産業を見通す中で、注目しているコンテンツや最先端技術があれば教えてください。

田中 : 僕が注目しているのは、技術ではなく、やはり人です。ものづくりは、人がすべてです。ゲームに限らず、ものを生み出す人は、20代から30代前半に大きな仕事を成し遂げています。経験を重ねることがいいことだと語られがちだけれど、経験がないことが強みになっている場合も多いと思います。これは自分自身の過去を振り返っても断言できます。体力や技術、勘を含めて、エンタメの領域において20代から30代前半の人の世の中に対する力は、絶大です。

石原 : 最先端のテクノロジーに関しては、できる限りいろいろなものに触れるようにしています。だけど、先ほども言ったように、こなれた技術の組み合わせの中に新しいサービスが成り立つ、という立場からすると、ヘッドマウントディスプレイで覗くVR(バーチャルリアリティ)の先に何か面白いものはあるのか。期待はしつつも、疑問が残ります。
そうそう、Meta(旧Facebook)のスマートサングラス「Ray-Ban Stories」を手に入れたのです。機能がシンプルで、こなれてきている感じがあります。だけど、身に着けるのは違うかな? だって、みんな、このサングラスする?(笑)。今でもサングラスをかけていると「あいつ、危ない奴かも」と見られがちですよね。そこが難しいと思います。
そして現在は、パンデミックの渦中です。最も未来を予測しづらいよね。パンデミックが後2年も続いたら、おそらく誰も握手をしなくなるだろうし、エレベーターが混んでいたら乗らなくなるでしょう。こんなふうに、生活習慣が大きく変わってしまいますよね。今は、ふるい落としが起きています。ふるい落とされていくものと、残っていくものがあります。舞台芸術や音楽のコンサートは、懸命に試行錯誤していますよね。
その一方で「え?こんなものが始まっちゃったの?」みたいなものも、おそらく出てくると思います。予想もしないものが登場するのが、今のタイミング。そこをキャッチアップして、振り落とされることのないように、と考え続けています。

クリーチャーズは今後どのように進化していくのでしょうか。未来への展望をお聞かせください。

石原 : ここ2、3年でめざしていることは、実現すると思います。その後は「知らん」(笑)。

田中 : 「知らん」って(笑)。
自分が生み出す価値に意識的に生きていくのは、やはり働くことにつながると思います。だけど、必ずしも、働く=雇用ではないわけです。クリーチャーズは雇用中心に経営していますが、今後は雇用という形態にこだわり過ぎず、才能を持った方々に、これまで以上に参加いただいて、クリーチャーズを盛り立てていってほしい、と願っています。それが具体的に何を生み出すかに関しては、まだ入り口の段階だと思います。
その先は「知らん」(笑)。

石原 : 私と田中さんは同い年で、20年も30年も一緒にやって来たわけだから、お互いにもう年寄りじゃないですか。一緒に「後は知らん」って言いましょうよ(笑)。

田中 : 石原さんに毛筆で書いてほしいな、「後は知らん」って(笑)。すごくいい「言葉」だと思いますよ(笑)。

石原 : 「後は成り行き」とか。「後は知らん」のほうがいいかな(笑)。